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2015年1月に作成された記事

2015年1月31日 (土)

日本人は冷たい

 イスラム国により、二人の日本人が人質にとられ、うち一人が殺害されてしまったようだ。非常に残念だし、卑劣な犯行には憤りを覚える。そしていよいよ日本も、世界的なテロが他人事では済まなくなったなという感じがしてくる。

 一方でこの事件を機にまた、日本の不思議な というよりどこか怖い国民性を垣間見た気がする。特に殺害された湯川さんの父親のテレビ報道を見て、そう思った。父親は、残念な気持ちでいっぱいだということと、国民、政府、そして息子を心配して現地に入ったがゆえに拘束されてしまったのではないか、という後藤さんに対する謝罪を述べていたのだが、感情をむき出しにするわけでもなく、激しい言葉を使うわけでもなく、実に落ち着いたトーンだった。事の重大さを忘れてしまうほどに。

 でもよく考えると、この落ち着きはおかしい。子供が殺されているわけだから、親としてはとても平常心ではいられないはずで、感情をむき出しにして、怒りの言葉の一つもぶつけたくなるのが自然ではないか。ではなぜそうしなかったのだろうか。それは恐らく、日本の無慈悲な自己責任論を意識した(というより意識せざるを得なかった)からではないかと思える。もう一人の人質の後藤さんの母親も、自分は母親だからこの状況には耐えられないということを、その言葉の内容とはあまりにもかけ離れた、落ち着いたトーンで言っていたが、やはり自己責任論を意識せざるを得なかったのだろう。

 何か不祥事や事件が起こったら、直接に迷惑をかけていなくても、国民全員に謝罪しなければならない(しかも被害者であっても!)という、日本独特の空気と相まって、無慈悲な自己責任論も、時代が進むにつれてますますエスカレートしている気がする。東日本大震災の時も、原発事故で避難を余儀なくされた人に対して、自ら原発を誘致したのだから自業自得だ、などという意見が出て、もはやここまで言うようになったのかと衝撃を受けたが、この自己責任論はついに、息子が殺されるという、親にとっては気も狂わんばかりの事態でも、容赦なくのしかかるまでになってしまった。

 それにしても、なぜ日本人は、声高に無慈悲な自己責任論を叫ぶのだろうか。今回の事件にしても、自己責任論を主張するほとんどの人は、直接的に迷惑をかけられたわけではないはずだし、救出といった実際の作業を求められたわけでもないはずだし、救出に向けた交渉等で、税金が使われているかもしれないにしても、個人的に税金を追加徴収されたわけでもないはずだ。だったら、何もあえて突き放すことはせずに、助けようという気持ちくらい持ってもよさそうなものなのだが・・・、何がそんなに気に入らないのだろう。

 もっとも、こうした自己責任論は、主にネット上で見られる、あくまでも一部の人の意見ということかもしれない。実際私の知り合いを含め、身近なところからはそうした声は聞こえてこない。でも世間で、積極的に自己責任論を打ち消すような声も、あまり聞こえてこず、この自己責任論は、自らのせいでなくても何か面倒なことが起こったら見放されるという、今の日本全体に流れる空気と一致している気がする。

 日本は昔から画一的な社会だと言われてきたが、近年は個性や自由が奨励されている。でもなぜか日本人は、個性や自由を発揮するために使えるエネルギーを、画一性からはみ出した者の監視と非難に費やしてきたように思える。そんなことに汲々としているうちに、命がかかっている状況でも、日本は、平然と自己責任論で片づけてしまうメンタリティになってしまった。豊かな国のはずなのに・・・残念だ。

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※ 追記
 この記事を投稿した翌日(2/1)、もう一人の人質の後藤さんも殺害された模様だ。さらなる蛮行に憤るとともに、後藤さん本人の無念さや、親族の方の悲しみを思うと、本当に気の毒だ。

 ただ同じく残念に思ったのが、親族の方による、国民に対する謝罪だ。身内が殺されるという、悲しみのどん底にあっても、日本では、とにかく世間を騒がせたということで、国民に謝罪をしなければならないのだ。改めてこの不文律は、本当に容赦なくのしかかるのだなと思い、悲しくなった。

 そしてその後、後藤さんには、外務省が現地への渡航自粛を要請していたとの報道があった。これによって、自己責任の論調がより強まった感もあるが、それでも私は、簡単に自己責任では片づけられないと思う。ただそれよりも、渡航自粛要請を聞き入れなかったのだから、死んでもやむなしと見捨てたり、テロリストよりも悪者なのか、と思いたくなるような勢いで非難する日本の冷たさに、ショックを受けてしまう。

 被害者(加害者ではない)の親族を、マスコミの前に引きずり出し、謝罪をさせる(事実上、日本国民がそうさせている)だけでも、ひどいと思うのに、さらに自己責任論のバッシングを浴びせるのは、あまりにも非情ではないか。一番悪いのはテロリストなのに・・・

 日本も世界的なテロと対峙しなければならなくなったようだが、そのために第一に日本がやるべきことは、同胞を見捨てない精神性を持つことだ。

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