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2014年6月30日 (月)

日本人はどうしたいのか

 ブラジル・サッカー・ワールドカップ、今回日本は1勝もできずに、1次リーグ敗退という残念な結果で終わってしまった。日本のW杯出場は、これで連続5回目。1998年のフランス大会初出場から16年が経っているが、当初から敗因の1つとしてずっと言われ続けてきたのが、決定力のなさ、つまりここぞという時にゴールを決める力のなさだ。

 今回は、欧州で活躍している選手も多く、これまでの日本代表と比べて、技術力は高いということだった。確かにそれは間違いないと思うが、決定力に関しては、結局今までと変わらないかなという印象だった。

 思えば16年というのは結構長い年月で、98年の初出場時に7歳だった小学1年生が、23歳という今回のW杯で十分活躍できる選手になっているほどの年月だ。これほどの時間があれば、決定力のあるアタッカーがせめて1人くらい生まれてもいいのにとも思うが、そうした逸材がいなかったのだろうか。いたけども育成が上手くいかなかったのだろうか。それとも日本特有の横並び意識が、そうした逸材をつぶしてしまったのだろうか。

 でもそれより気になるのは、そもそも決定力のある選手を作ろうとしたのかということだ。以前よく日本代表OBの方たちが、日本人の能力では突出したアタッカーになるのは無理だと、だから組織の力で戦うべきなのだと言うのを耳にしてきたが、そうした考えはまだ根底にあるのだろうか。それとも改めたのだろうか。

 そもそもアタッカーを作ろうとしていたのなら、なぜ生まれなかったのかを検証して、反省をその後に生かすべきだが、組織力で戦おうとしていて、アタッカーを作ろうとしなかったのなら、アタッカー不在を嘆いても意味がない。別の敗因をしっかり検証すべきということになる。

 というように、こうした点1つとっても、基本的に日本はどうしたいのかがはっきりしない。そこがはっきりしないから本当の意味での反省もできない。反省ができないから、次に向けた有効な対策もとれない。こういう悪循環を(まさに受験勉強でも避けたいこと)、この16年繰り返してきてしまった気がする。

 一般国民にも問題はある。試合に負けた時こそ、突出したアタッカーの出現を願うが、普段日本人は突出した存在をよく思わない。出る杭を打つ性質は、他国よりかなり強い。そんな文化の中でアタッカーが育つだろうか。

 約3年前の記事で書いたのだが、大接戦で延長の末、ある選手が見事なボレーシュートで1点をあげ、その1点のおかげで勝ったというアジア杯の決勝戦があった。その得点をあげた選手が、今日の試合では自分がヒーローになろうと思っていた、といった発言をしたところ、なぜ(一般の日本人のように)皆のおかげで勝てたという旨のことを言わず、自分のことばかり言うのかと、ネット等でかなり叩かれたらしい。こんな環境で、突出したアタッカーよ出てきてくれ、と望むのは虫がよくないだろうか。

 主将の長谷部選手が、国の文化もサッカーの一部だということを示唆していたが、まさにその通りだと思う。もはや文化から見直さなければ、日本はこれ以上強くならないのかもしれない。

 突出したアタッカーが見事なゴールを決めて勝つ、といったことを望むのなら、それを阻害しない文化、つまり日常的に突出した存在を認める環境を作らなければならないだろう。

 それは無理だが強くなることは望むという場合は、組織力を鍛え上げ、徹底的に集団で戦う戦法をとるか、または日本独自の奇襲作戦でも行なえばよい。日本は何かと世界標準から逸れるので(いわゆるガラパゴス化)、実際変わった戦法の方が、日本人の力が発揮できるかもしれない。

 いずれにしても日本国民も、どうしたいのかをはっきりさせる時が来たのかもしれない。それがなければ反省もできないし、反省ができなければ、有効な対策もとれないのだから。

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