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2014年4月に作成された記事

2014年4月30日 (水)

日本の劣化

 日本が劣化したと言われて久しい。それは、モラルやプロ意識の低下について言うことが多いが、問題の処理の仕方の劣化もある。不祥事やスキャンダルの後、当事者が表面上謝罪はしながらも、責任逃れの発言に終始する記者会見などが、典型例だ。

 中でも最悪の例だと思うのが、事が起こって状況が厳しくなると、責任者が一旦雲隠れし、事の重大さによっては体調不良を装って入院し、時間をかけて完全なる理論武装をした後、弁護士とともに現れ、真相の説明よりも、法的には問題がないということを延々と訴える、といったことだ。

 そしてその最悪なことがついに、科学の世界でも起こってしまった。そう、あのSTAP細胞の小保方氏の会見だ。真理を探究する科学者が、自らの研究成果ではなく、法律論であれこれ弁明する姿には、憤りを通り越して哀れさを感じた。自ら科学者失格だと言っているようなものだ。

 そもそも、論文がねつ造かどうかということに、話の中心が持っていかれてしまっているが、もはや、ねつ造でもねつ造でなくてもよいから、とにかく論文で発表したSTAP細胞を見せてほしい。200回も作成に成功しているSTAP細胞を、小保方氏以外、なぜ誰も再現できないのか、そこを明らかにしてほしい。

 この件をもって、科学会全体の劣化と言うのは行き過ぎなのかもしれない。何が事実で何が仮説かを正しく見極められなかった、未熟な一科学者による単なるフライングだったと言う方が適切なのかもしれない。だから法律論などに持ち込まず、初めに潔く謝ってしまえば、こんな大事にはならなかったのにとも思う。

 ただ、理化学研究所ほどの権威ある機関の研究者が、ネイチャーほどの権威ある科学誌に提出した論文で、そうした稚拙なことをしてしまったこと、そして世界中で真偽が疑われ、ひいては日本の科学会全体の信頼も損ねたことを考えると、もはや個人の問題では済ませられないだろうか。

 一方、今回の件で驚いたことの一つが、一般の国民に、小保方氏を擁護する声が多いことだ。か弱い女性が一人必死で、理研という大きな権力に立ち向かっているという図式にも見えるので(弁護士の思惑通りか)、心情的には小保方氏を擁護したい気持ちになってしまうのはわかる。

 でも200回も成功し、そして世界的に権威のある科学誌に発表したことが、当人以外世界の誰一人として再現できないというのは、一般の人にとっても、おかしいことは分かるはずだ。科学的な知識がなくとも、発言の合理性のなさには気づくはずだ。

 日本の一般国民は得てして、何か事が起こった場合、とりあえず上(権力のある側)を叩いておけばよいという、安易な発想があるような気がする。今回の件でも、きちんと考えることなく、いつもの習慣で、悪いのは上(この場合理研)だと決めつけ、上述のような単純な不合理ささえ見抜けなくなってしまったとしたら、それこそ一般国民の劣化の表れだ。

 国民の世論を気にしてか、教育評論家や政治家の一部からも、小保方氏擁護の声が上がっているが、私的にはがっかりだ。再現できない実験結果を世界中に発表することは、教育的にもよろしくないし、国としての信頼も損ねたのだから、そうした人たちはむしろ非難すべきではないのか。非難までは忍びないというにしても、きちんと戒めるべきではないのか。厳しくあるべき人が、人気取りで、なあなあな態度をとる。これも劣化の典型例だ。

 ちなみに、このブログ記事を書く少し前に、小保方氏の疑惑を調査する委員会の長である石井氏、そして驚くことに、昨年ノーベル賞を受賞したあの山中教授についても、論文の画像に疑義があるとの報道があった。昔の論文の欠陥を探している人がいたことに驚くが、小保方氏の弁護士にとっては、願ったりのことかもしれない。

 ただ、画像の疑義という点では、両氏と小保方氏は同じということになってしまうのかもしれないが、決定的に違うのは、小保方氏と違って、石井、山中両氏の論文の内容自体は、正しいと証明されていることだ。ここを無視して、揚げ足取りのような行動で、科学者が研究する環境を乱してよいものだろうか。

 そもそも今回の件は科学の問題だ。なのでいずれは、国民世論も感情論から、真実を踏まえたものへと変わり、事態は落ち着くべきところに落ち着くものと思うが、この一連のドタバタ劇は何とも残念だ。無用な混乱を避けるために、一般国民も上ばかり責めていないで、もっと賢くならなければ、と強く思った今回の出来事だった。

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