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2013年9月に作成された記事

2013年9月30日 (月)

理不尽な評価は現場を歪ませる

 川勝・静岡県知事の、全国学力テストに関する発言が話題を呼んだ。小学校国語Aの正答率が、全都道府県で最下位だったことを受け、県内の点の悪かった下位100校の校長名を公表すると言うのだ(紆余曲折があり最終的には、上位の学校の校長名を公表することに変更したが)。

 報道から受ける印象としては、自分の県が最下位だったという衝撃、あるいはそれにより面子が潰されたという怒りなどで、感情に任せて発言したように思え、何か違和感がある。

 そもそも全国学力テストの結果は、学校名を公表しないというルールなのに、自治体のトップがそれを率先して破るのは問題だ(知事は学校名ではなく、校長名を発表するのだから問題はないと言っているが、詭弁だ)。

 また公表するのを、下位100校としたのは、必然性があってのことなのか。明らかにその100校は、校長名を晒されるという仕打ちを受けるほど、点数に問題があったのか。文部科学省(の関連機関)が公表している結果からすると、都道府県あるいは市町村で、有意な差は見られなかったとのことだが、静岡県だけは違ったのだろうか。

 公立の小学校は人格教育も含めて、色々なことをしなければならない。国語力の養成を第一の目標とはしていないし(もちろん大事な目標の一つではあるが)、生徒も通常、それを第一の目標として入学するわけではない。それなのに、国語という一教科の、しかも一回のテストの出来で、自治体(のしかもトップ)からこんなにも責められるのだから、現場の先生も大変だなあと同情してしまう。

 このような理不尽な評価(圧力と言ってもいい)は、問題の解決にならないどころか、歪みを生じさせ、事態をむしろ悪化させる。

 実際6年前、足立区の小学校において、区独自の学力テストで、成績の悪い生徒の点数を集計からはずしたり、テスト中に監督の教師が、答が間違っている生徒に、それとなく合図をしたり、といったことが行われた。当時足立区では、学力テストの結果によって、各学校に配分する予算を変えていたため、一部ではあるが、不正に走った学校が現れたのだ。

 本来区立の小学校は、学校ごとにそれほど大きな学力差はないはずだが、テストというものを行えばその性質上、どこかがトップになり、どこかがビリになる。大きな差でなくても、上位か下位かで予算が変えられるというのは、理不尽な評価で、不正を行う学校が現れても不思議はない(肯定するつもりはないが)。一方何らかの条件で、勉強が不得意な人が多い地区があるかもしれない。そうした地区の学校は、学力テストのようなものではハンデを負うことになるが、それが何ら考慮されないのも、フェアでない気がする。

 いずれにしても、有意な差でなくても単に上か下かで評価をされ、ましてや予算まで変わるというのは理不尽だし、学校が如何ともしがたい外部の要因が、一切考慮されずに評価をされ、ましてや予算まで変わるというのも、理不尽だ。

 いじめの問題も、理不尽な評価が、事態を悪化させている例だろう。

 いじめはゼロが理想だが、現実問題、学校でいじめが起こらないことはあり得ない。なのに、とにかくいじめがあるというだけで評価が下がる。いじめがないことより、いじめがあってもそれに上手く対処できたかの方が重要で、意義があることのはずなのに、そのことは考慮されない。その結果どんどん、教育現場は隠蔽体質となり、学校関係者が記者会見で、躍起になっていじめの存在を否定する、という姿を頻繁に目にするようになってしまった。

 高度に情報化が進み、至る所で評価をされる現代において、公立の学校だけ、何の評価もなされないというのは不自然な気がするし、教育界にも競争原理を取り入れて、学校や先生の質を高めたいという思いもよくわかる。でも上述のような理不尽な評価での競争となると、現場を歪ませ、事態を悪化させる。改善したように見えても、それは表面上のつじつま合わせの結果で、本来の教育をよくしたいという思いとは、違う方向に進んでしまう。

 だから、自治体(の特にトップ)や、教育委員会等には、もう少し本質を考えた発言や行動をしてもらいたいし、国民の側も、あまり過剰な要求をしないようにしたい。本当の意味で教育を改善したいなら。

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