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2012年7月に作成された記事

2012年7月29日 (日)

いじめ対策は「心」で

 大津の中学校のいじめ自殺問題、本当に痛ましい出来事だ。加えて、教師と教育委員会の対応があまりにもひどい。いじめというものは昔からあったし、それに関する記者会見も様々目にしてきた。でも今回の校長や教育長の、あそこまで責任逃れに必死になっている会見は見たことがない。人が一人亡くなっている事態でも、あのような対応ができることが信じられない。

 何でも、今は教育界にも成果主義が導入されて、いじめをなくすという目標が掲げられ、実際その成果が求められていたようだ。この成果主義が、例の会見に象徴される、隠蔽、責任逃れの体質を生むのだと言われている。

 そもそも、いじめがなくなることは絶対にないはずだ。なのに教育界には、いじめをなくすという目標があること自体驚きだが、その無謀な目標が、生徒が命を落とす事態になっても、いじめが原因ではないのだと、何としても訴えたくなるほどに、教師たちに影響力を与えていることに衝撃を受ける。

 そういうわけで、このおかしな成果主義を改めることは、問題改善のための大きなポイントになるのだが、あくまでも「心」が伴えば、の話だ。成果主義の件も含め、電話相談など、巷では様々な対策が言われていて、どの対策もごもっともだとは思うのだが、技術論やシステム的なことが先行していたり、うちの自治体はきちんと対策をしていますよ、というアピールが前面に出ていて、何か本質からは離れているなと思ってしまう。結局今は、世の中全体が成果主義だから、いじめ対策として出てくる案も、数値で成果が計れるか、といったことを意識したものとなるのだろうか。

 では「心」でどうするのかと問われると、具体的には言いづらいし、「心」でどのくらいいじめが減るのかという、成果主義的な質問にも答えづらい。でもそういう問題ではなく、世の中的に、どこか「心」の問題が置き去りにされているように感じるので、どんな対策をとるにしても、まずは「心」を主眼に置くべきだということだ。

 本来、いじめの対策の根本はシンプルだ。目の前のおかしな、あるいはおかしいと思われることに、何としてもやめさせようという強い気持ちを持って対峙する、ただそれだけでも十分なはずだ。大津の中学校でこだわっている、その出来事がいじめと認定されるか、されないかということなど関係ない。逆に、どんな有効な対策があったとしても、現場で対応する先生方に「心」がなければ、いじめとは認定されなかったので、対策はとらなかった、などと言われるのがオチだ。

 だから具体的対策の前に、まずは「心」をしっかりと持つべきだ。まずは、学校の先生であれば本来持っているはずの、おかしいことをおかしいと感じ、思わず何とかしたくなってしまう「心」を呼び覚ますべきだ。成果主義に追いやられることなく。さらには世の中的にも、成果主義を押しつけて、せっかくの「心」を台無しにしてしまうことがないようにしたいものだ。

 万が一今の世の中、もはや皆「心」がなくなっているというなら、技術やシステムだけで対応せざるを得なくなるが、そんな状況ではないと信じたい。大津の例は、あくまでも特殊な例だと思いたい。

 ちなみに私は、本来「心」を語るようなタイプではないと思うが、そんな人でさえ一言言いたくなってしまうほど危機感を感じる、今日この頃なのだ。

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