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2011年9月21日 (水)

リーダー、ヒーローが要らない日本人

 数年前から、日本では総理大臣が頻繁に変わっている。原因のほとんどは、その人の能力や資質によるものだと思うが(特に政権交代以降は顕著)、一方でマスコミが、ほんのちょっとした失言でも責め立て、それに国民も同調するという事がなくならなければ、事態は変わらないと思う。このままでは、誰が総理大臣になっても同じ、あるいは、もはや誰も総理大臣など出来ないのではないか。

 もっとも総理大臣に限らず、その他の大臣、自治体の長、官僚のトップ、会社の社長など、リーダーに対して、今の日本人は異様に厳しいし、リーダーそのものに、嫌悪感があるのではないかとさえ思える。皆と同じでいたい、皆と同じであるべきだ、という日本人独特の横並び意識により、リーダーという存在さえ、異質なものと捉え、隙あらば叩く、という気持ちになるのだろうか。

 自分が学生だった頃は、教育も世の中も結構画一的だった。それに比べれば、今は自由で、個性も発揮しやすいはず。実際、ゆとり教育で個性重視が謳われているし、世の中的にも、変化の激しい現代は、独創的な思考が必要だということで、やはり個性が重視されている。このような環境なのに、日本人は、享受できる自由を、そして発揮できる個性を、異質なものを監視することに使ってしまっているようだ(しかもインターネット等の発展で、年々強化されている感がある)。何とももったいないことだ。

 日本人の横並び意識は、この前の震災時に海外から称賛された、規律や協調性、治安のよさなどの、プラスの面も生み出すが、行き過ぎて、ちょっとの違いも叩かれるという雰囲気は、何とも息苦しい。いずれにしても、リーダーというものは必要なのだ。非難すべき点は非難すべきだが、リーダーの存在さえ否定したいかのような、些細な事での揚げ足取りはやめたいものだ。
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 以上の話に関連して、思い出すことがある。ちょっと古いが、今年1月に行われた、サッカー・アジア杯決勝戦のことだ。(一体何の関連が、と思われるかもしれないが)

 それは、対オーストラリア戦だったが、非常に緊迫した見応えのある試合で、0対0のまま、延長戦後半に入った。そこで、李忠成という選手が、素晴らしいボレーシュートを決め、結局1対0で日本が優勝した。試合後のインタビューで、李選手は「自分がヒーローになると言い聞かせていた」という発言をしていたのだが、この発言が、ネットで結構叩かれていたというのだ。なぜ自分のことだけ言うのか、なぜ皆のおかげで勝てたといったことを言わないのかと。

 このことを知って、私は驚いた。確かに自分も、李選手のインタビューを聞いた時、「日本人の一般的な発言とは違うな」と、一瞬思ったのは事実だ。(こう思ってしまうところが、どっぷり日本に浸かっている証拠?) でも、本当に見事なシュートを決め、まさにその1点のみで勝てた試合なのだから、人間の素直な感情として、俺がヒーローだという発言をしても、何の不思議もない。

 個人的には、皆のおかげです的な、謙虚な発言が好みなのだが、そんな私でも、この時は李選手に対して、確かに君がヒーローだよと思ったし、いつまでもヒーローと言い続けるのは、あまり感じがよくないが、試合直後くらい、ヒーロー感に浸らせてあげなよ、と思った。偉業を成し遂げた直後でさえ、ヒーローになることが許されない日本。何とも息苦しくないだろうか。

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