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2011年5月に作成された記事

2011年5月25日 (水)

困った予備校の授業

 英語が特に苦手ということで、某予備校とかけもちで、ウチに来ている浪人生がいる。その予備校のある長文の授業が、なかなかクセモノで、本文など読まなくてもいいし、本文が分からなくても、ある解法を用いれば設問は解ける、といったものだった。
 私も以前予備校で教えていて、こうした怪しい受験テクニックを教える授業の存在は知っていたが、自分が予備校を離れて久しく経ち、予備校事情を常に意識することはなくなり、何となく、こうした授業はなくなってきたのかなと、勝手に思っていたが、どっこい、今も健在だったとは。
 ちなみに、その解法と言っても、本文と内容真偽の選択肢で、同意語の有無を調べたり、allやalwaysやonlyなどを含む選択肢は、本文の内容に合わないことが多いからはずす、というくらいのもの。確かに、こうしたことは一般的にも言われているし、私も教えることはある。でもそれは、本番でどうしても分からない問題があったら、そうした事を参考にして選択肢を選んだ方が、当てずっぽうで選ぶよりも合う確率が高まると、受験直前期にアドバイスする程度で、あくまでも副次的なもの。でも予備校のこの授業は、こうした事を1年教え続けるらしいが、そんなにネタがもつのかと、他人事ながら心配になってしまう。

 英語には、色々なアプローチの仕方があるし、本来予備校がどのような授業をするのも自由なのだが、守らなければならない一線はあると思う。長文読解の授業で、英文を読まない、重要な語句を指摘しない、文脈を追わない、英文の内容に一切触れない、話の主旨も言わないなど、どう考えてもアウトではないか。仮に予備校でこのような授業を行うのなら、授業の組み合わせが決まっていて、生徒に選択の余地がない本科の授業で行うのではなく、オプションの講座で行ってほしい(長文の授業だけど長文は読まない、とはっきり断って)。
 この予備校は、長文の授業が週2コマあるが、そのうちの1コマで、本来学べるはずのことが学べなくなってしまったのだから、影響は小さくない。実際、この授業に出席する生徒は、回を追う毎に減っているらしいが、無理からぬ事だと思う。一方でウチに来ている生徒は、この授業に出席し続けている。本当は私は、他の授業のことをとやかく言いたくないし、この生徒が本来持っていた、与えられたものはしっかりこなすという、非常によい勉強姿勢を崩すことにもなりかねないので、その授業に出ないようにとは言いづらいが、その授業で何を学んだの?と生徒に尋ねて、「・・・」と無言になってしまうような授業は、積極的に出るようにとも言いづらい。

 結局その予備校の授業を、何らかの形で有効に使う方法を考えつつ、ウチで、その予備校の長文教材を使って、本来やるべき事をやることにした。この生徒は(というよりこの時期の生徒は大体皆そうだが)、テクニック云々の前に、語彙力も増やさなければならないし、何よりも、長文への抵抗をなくすために、英文を読み込むなどして慣れなければならないのだから。また結構いい教材なので、それを使っても、私が教えたい事は十分教えられる。
 まあ、どうにかこれで、この生徒の勉強の体制も整い、後はとことん頑張ってほしい。そして同時に、予備校事情の改善も願う。

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2011年5月 9日 (月)

震災とマスコミ

 この震災で色々なことを考えさせられたが、いつもより多くテレビを見ていたこともあって、マスコミのひどさが改めて気になった。
 もちろんマスコミの報道をきっかけに、支援が行き渡るようになったりと、役立つ報道があることは重々承知しているのだが、一部マスコミ関係者の態度や発言で気になることがあったし、特に現場の記者(カメラマンも?)の傍若無人ぶりは、目に余るものがあった。
 極めつきは、東京電力の計画停電を知らせる会見での「(停電で)死ねってのかよおい」発言だが、それ以外にも、なぜそこまで心ないことが言えるんだ、なぜそこまで無礼なんだ、という発言は多かった。
 確かに会見で発表する側も、おかしな事を言っているなと思える時はあったが、だからと言って、マスコミが暴言を浴びせていいことになはらない。テレビで震災関連の会見を何度も見ているうちに、もはや、多少おかしな事を言っていても、発表者側に同情するようになってしまったくらいだ。

 この震災に限らず、何か事件や事故があると、記者達が当事者を取り囲み、正義の味方よろしく、「被害者に謝罪しないんですか?」などと詰め寄る場面をよく目にする。確かに「そうだ」とは思うのだが、あの攻撃性が前面に出たトーンで言われると、共感したくなくなってしまう。
 以前から、記者の人達に対してよく思うのは、あなた達に裁きまで託した覚えはないということ。本来マスコミの人達は、伝えることが仕事のはず。被害者に謝罪しない人がいたとしても、そういう人がいるという事実を伝えるだけでよいのではないか。あるいは、どうしても言いたい事があるのなら、画面にきちんと映った上で言うべきだ。暴言を浴びる側は画面に映るのに、暴言を吐く側が映らないのはアンフェアだ。

 以前ある著名人が、マスコミは、国民の精神レベルと離れた所には存在できない、と言っていた。もっともな話だと思う。ということは、マスコミ(記者)の体たらく、イコール、国民の体たらく、となるのだが、この震災を機に、国民の方が一歩先に進んだのではないかと思える。さらに言えば、一歩先に進んだ国民が、マスコミを修正したような感じさえする。当初民放が、震災を興味本位で伝えていると批判されたりしたが(私もそう思った)、時が経つにつれ、そうした報道が消えてきたのは、その実例ではないだろうか。
 この震災をきっかけに、社会の色々な事が変わるだろうと言われている。マスコミも変わってくれればなと、切に願う。

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