« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月に作成された記事

2011年4月20日 (水)

学校は、生徒が正しい勉強に向かうように仕向けよう

 以前(10 11/24)の記事で、学校の定期テストでの出題割合が低いため、長文の勉強をしなかった生徒の話をしたが、それより前に、もっと驚くべき生徒に出会ったことがある。それは、単語の暗記をしないという生徒。その生徒は、やはり学校のテストでの出題割合が低いため、単語の暗記をしなかったのだ。
 では、テスト対策で何をしていたのかと言うと、出題割合の高い文法の4択問題を丸暗記していたとのこと。ただし、文法法則は理解せず、英文に出てくる単語も覚えず、要するに、問題1の答えは選択肢aだった、という覚え方。それでも、そこそこの点数は取れていたらしい。

 この状況を知って、真っ先に思ったのは、いくらテストでの出題割合が低くても、英語の勉強で、単語を捨てるなんてあり得ない! なぜそんな恐ろしいことができてしまうのだ! ということだった。(基本的に真面目な生徒で、志望校だって早くから決まっていたのに。)
 が、冷静に考えてみると、生徒の気持ちもわからなくはない。そもそも高校生は忙しい。英語以外にも色々と勉強しなければならない。しかも、皆英語が好きとは限らない。となれば、試験での得点を第一に考え、出題割合の高いものから勉強し、場合によっては、割合の低いものは時間切れで勉強できず、となってしまうのもやむを得ない気がする。自分だって、不得意科目とか、関心の薄い科目とかは、そのような勉強をしていた気がするし・・・

 何だかんだと、学校というのは、やはり生徒に大きな影響を及ぼす。特に最近は、従順な生徒が増えたように思うので、一段とそう言えるのではないか。なので、学校側には一肌脱いでもらって、正しい勉強法を説き、それを実行させるようにするとともに、生徒が得点のことだけを考えて勉強しても、それなりに真っ当な勉強をしたことになるように仕向けてほしい。具体的にズバリ言えば、最低限の単語・熟語の暗記はせざるを得ないようにしてほしい。・・・できれば、文法法則を含んだ典型的な例文の暗記、ある特定の長文を暗記するくらい徹底的に読み込む、といったこともさせてほしいが・・・

 ちなみに上記の生徒の学校では、定期テストで、単語の出題割合が20%と低い割に、覚えなければならない単語の個数が多くて、覚えきれなそうだし、いくつか選んで覚えようかとも思ったけど、それが試験に出るかはわからないし・・・ということで、単語の暗記から遠ざかったらしい。こうしたことは、学校のちょっとした配慮で避けられるはず。試験での出題割合を増やすか、覚えるべき単語の個数を減らすかして、労力に見合う成果が得られるようにしてあげればよいのだ。あまり打算的な考えは好きではないし、本来は生徒自身の問題だと言えばそうなのだが、この程度の配慮で、英語力の基盤を成す単語の学習に生徒が向かってくれるのなら、やってもバチは当たらないのではないだろうか。

 いずれにしても、最低限の単語・熟語の暗記がなされていないと、本格的な受験勉強を始めても上手くいかない。実際、上記の生徒の指導(高2の後半から指導した)は非常に苦労した。もっと言えば、単語の暗記をしないことに慣れ過ぎてしまって、暗記というものに意識を向けさせるのに苦労した。
 こうした事態はぜひとも防ぎたいもので、そのためにも、影響力の大きい学校に、一役買っていただきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 5日 (火)

小学校・英語必修化への期待

 いよいよ4月。新学年の始まりだ。今年から小学校で、外国語(英語)活動が必修化される。実によいことだと思う。というより、導入が遅すぎたくらいだ。
 小学校で英語を取り入れようという話が出て、かれこれ十数年経つのだが、当初は、小学校のうちは、国語教育に力を入れるべきだとか、英語の授業に時間を取られ、国語力が低下するなどと、反対意見が多かった。週1回45分英語を行うだけで低下するほど、人の母国語の習得力というのはヤワなものなのか?と、私は強く疑問に思ったものだ。
 グローバル化で英語の重要性が一段と叫ばれる現在、英語の早期からの教育は必然かな、という気がするし、やはりメリットは多いと思う。ちなみに私のような、主に高校生に受験指導をする立場で、一番メリットだと思うのは、「納得を生み出す根底の感覚」が養われること。

 私は、英語を教える際に、文法を始めとした法則を重視しているが、そうは言っても、どんどん掘り下げていくと、どこかで、理屈抜きでわからなければならない、何となくそう思える感じがしなければならない、という段階に至りつく。
 例えば、命令文は動詞の原形で始める、という文法があるが、それはあくまで理屈。その理屈を覚えたから、習得ができたということにはならない。「人に~して」という時は、何か動詞の原形で始めたくなってしまう、あるいは無意識に始めていた、というレベルになっていなければならない。そのためにも、頭がより柔らかく、吸収力の高い小学生の時に、Open the window.のような文に慣れておくことは、大いに意味があるだろう。
 「何かそう思える」というものを増やしておくと、中学や高校で、本格的に文法(理屈)を習った時の定着度、そして応用度が違うと思う。

 もっとも、そこまでいかなくても、音声面に習熟してもらうだけでも十分だ。さらに言えば、英語が読めるようになるだけでも十分だ。
 例えば高校生でも、しかも必ずしも学校のテストの点が悪くない生徒でも、英語がちゃんと読めない、もしくは読めても、実感が伴わない(例えばphの文字を見て「フ」と読む感じがしないなど)ので、読むのが遅い、読むのに非常に労力を必要とする、といった生徒が意外にいる。これは非常に問題で、音がさっと頭をよぎらない状態では、そもそも英語が覚えにくい。英語が覚えにくい頭のまま、英語の勉強を続けることほど、効率の悪いことはない。さらに、仮に読めても、苦労して読むという状態では、制限時間内に、大学入試のあの大量の英文を処理することはおぼつかない。
 こうした生徒は、私が目にする限りでは、私立の中高一貫校の生徒にむしろ多く、聞くと、小学校の時は中学受験の勉強で英語にほとんど触れず、中学に入っても、英語を読む、書くといった基本作業をさせられていないと言う(学校側は、受験を突破したような出来る生徒だから、基本は放っておいても大丈夫だと思っているのだろうか?)。小学校での英語学習は、こうした状況の改善にも役立つと期待している。

 一方、中学との連携が詰められていないなど、気がかりな点もある。また、小学校の時に、コミュニケーション重視の楽しい授業に慣れてしまうと、中学・高校で本格的な英語を習った時に、心理的なギャップを感じ、英語嫌いになってしまう可能性が指摘されている。
 楽しさ重視の弊害とでも言ったらいいのか、自分の授業でもすでに、その兆候は少し見られる。今の世の中、楽しい情報があふれていて、勉強も楽しくなければダメということで、本来必要な努力を怠る事例も見られる。一般に「楽しく」というと、ゲーム感覚で、皆でワイワイ、といったイメージなのだろうが、それだけで、大学入試に対応する力はつけられない。やはり、地道にコツコツやって、しっかり定着させるといった作業が欠かせない。
 そもそも私は、コツコツやった末に、出来なかったことが出来るようになっている自分に気づく、というのも非常に楽しいことだと思う。小学校での英語導入によって、今後もしかしたら、そこに目を向けさせるのに苦労するのかもしれないが、気を強く持って頑張っていきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »